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  ドイツ・ザクセン州・Erzgebirge(エルツゲビルゲ)の村ザイフェン・・・・・


ドイツとチェコとの国境を作っている山脈Erzgebirge(エルツゲビルゲ:鉱石の山)。エルツ山脈と呼ばれています。(英語ではOre Mountain(鉱石の山)と表わされています。)11世紀頃は「ボヘミアの森」と呼ばれていたそうです。鉱山業が栄え、フライベルグでは銀鉱脈が1160年には発見されていたといることが伝えられている。錫が採掘された山脈の中央に位置するザイフェン。ある資料にザイフェンは「Cynsifen」(チンザイフェン)という名前で呼ばれていたと。その直訳は「錫洗鉱」鉱石を洗う、そして、洗う人をSeifnerと。
標高600-700メートルのSeiffen(ザイフェン)は、今では「おもちゃの街」と呼ばれ、木製玩具産業の中心となりました。
Kurort(保養地)でもあり、エルツ山脈には多くのトレッキングコースやサイクリングコースなどもあります。
なぜ、おもちゃの街に?それは鉱石が思うように採掘できなくなったり、生活費が炭鉱業だけでは十分でなかったことから、炭鉱に従事していた人々が木工に移行するようになり、ボタンやお皿などの木工に掘削の動力を変換し、1700年頃自作の木製おもちゃをニュールンベルグの市場に持ち込んだことから、、、、そして当時、輸出に人気のあった玩具を家族で作ったことなどから始まっています。戦争の辛い時代を乗り越えて今では「おもちゃの街」と世界で有名になりました。リゾートにも人気があり、あのザイフェンの村の教会の裏側はスキーゲレンデでした。
2019年にはエルツ山脈がユネスコの世界遺産に登録されました。

厳しい時代を乗り越えて脈々と作り続けられている木製玩具や工芸品。木の宝物たちをご紹介させていただけて、大変、光栄に思います。

 

「天使と鉱夫」

彼らにはこのような物語が。。。

やはり始まりは鉱山の村であったことから炭鉱に深く関係しています。
「暗い坑道での仕事は『光』に対する深い気持ちが」

鉱夫のキャンドルホルダーは17世紀ごろには鉛を鋳造して作られ、教会の祭壇の燭台として見られました。
後に彫り物となり、鉱夫さんの帰宅の道を照らすように窓辺に置かれるようになりました。
鉱道での真っ暗な中での長時間の仕事は鉱夫さんに陽の光に対する切望となったのですね。

天使のキャンドルホルダーは宗教的な背景があります。
天国から神の言葉を伝える天使のガブリエル天使の容姿を元として作られました。
ザイフェンでは羽を持つ飛ぶ天使が彫刻されるようになりました。
天使は鉱山の地下での大変危険な仕事に就く鉱夫さんを神聖に守護る!!と言われていました。

光に対する切望、、、19世紀半ばには天使が鉱夫の横に彼の奥様として置かれるようになりました。

姿はその当時のビーダーマイヤー文化(19世紀前半のドイツ・オーストリア中心に生まれた市民文化でもっと身近での地上的なものに目を向けようとした市民文化の形態)に大変影響受けています。細いウエストに花柄のドレス、そしてエプロンは典型的な当時のスタイルだったそうです。
エルツ地方で人気の伝統は赤ちゃんが誕生した折、または洗礼を受けた折、女の子には天使を、男の子には鉱夫をプレゼントすることでした。それ以来、窓辺に飾られた天使や鉱夫が通りがかる人たちに、この家には何人の子供が、、とわかるようになっていたそうです。

キャンドルを手に持つ天使と鉱夫のフィギュア。エルツ地方では窓辺にペアで飾られることが多いです。
ワックスろうそくから通電タイプのもの、最近ではLEDキャンドルのLUMIXが人気です。

たくさんの工房から色々なカラー、サイズ、モダンなデザイン、特に天使さまは多様に作られています。
ベルのついたタイプの天使と鉱夫もあり、ピラミッドを手に持ち、キャンドルからの熱がピラミッドを回し、そしてベルを鳴らす仕組みになっています。Fuechtner工房からのペアを取り寄せています。

ザイフェンの村の教会を訪れた時にこの2人がしっかりと光を掲げておられました。。。。。

 

「くるみ割り人形」

エルツ地方でのくるみ割人形は大工が職業だったザイフェンのWillhelm Fuechtnerが1870年ごろに作って脚光を浴びたのが始まり。1851年にハインリッヒホフマン作の「くるみ割り人形の王様と貧しいラインホルト」が人気を博していた頃。彼が作ったた王様は世界的に有名なザイフェンのくるみ割り人形の原型となりました。
くるみはたくさん食されていて、クリスマスには金色などに彩色してツリーのオーナメントとしたほど、、、。くるみ割りは日常に必要なツールだったのですね。ザイフェンより以前には1650年ごろにドイツ・オーストリア国境の地域で木製の人形にテコの原理を取り入れて口で割るナッツバイター(ナッツを噛む人)とも呼ばものが作られてたそうです。

ザイフェンのくるみ割り人形、それは権威のある人々のフィギュアが多いです。gendarmes、王様、兵士そして猟師が「厳しい表情」で生産されました。彼らの持つ権力をずる賢く?掘り下げています。庶民の職業のフィギュアが多い煙だし人形は反対に優しい表情で作られていますね。歯が折れるくるみを割る仕事は権威のある人たちに、庶民はその間、タバコを燻らせていよう・・なんて聞こえて来そうですね。

 

「煙だし人形」

エルツ地方では煙だし人形のないクリスマスを想像することはできない・・・と言われるほど、長い伝統のあるお香たてです。
31空洞になっている胴体の中でお香を炊いて、パイプを加えた口から煙を燻らす、、、、。
ザイフェンで最初に煙だし人形がろくろで作られたのは1850年頃です。おもちゃメーカーが最初に煙出し人形として作ったフィギュアは煙突掃除人、夜警、そして郵便配達人、行商人。それは身近なキャラクターたちでした。仕事を終えた時に、口にパイプを咥えホットする。。。日常的な儀式のような習慣でした。が、木製品はプラスティック製品が市場に現れるや否や、人気がなくなり、20世紀中頃、煙だし人形が再び人気が出出しました。東ドイツ時代には国営企業(VEB)または共同制作会社が生産にあたりました。輸出に成功し、それは海外だけでなく、西ドイツでも人気がありました。東ドイツ内ではほとんど手に入れることができない状況でした。
ドイツ統合後、玩具メーカーは「これを作りなさい、、」などという制限がなくなり、作りたい物を作れるようになり、新しいキャラクターがたくさん生まれました。庶民の職業以外に伝統的なトルコ衣装を着たトルコ人の煙だし人形も人気者です。タバコートルコという感じなのでしょうか。。。家、キノコ、女性、魔女などなども加わり、サイズもミニからとても大きいサイズも加わりました。庶民のキャラクターたち、優しいお顔が多いです。。。

ザイフェンのクラウスメルテン工房で製作される煙だし人形。工房でお二人で作られているようで、なかなか手に入りません。
特に今では見かけないBrotteigスタイルの人形。。このスタイルは19世紀半ばから20世紀前半のザイフェンの煙だし人形の特徴で顔、腕、足先がライ麦とおがくず、そしてチョークの粉を膠で固めた粘土で作られています。この技法の復活を2017年ごろには小耳に挟みましたが、、、。ただ今、この技法の煙だし人形を探しています。

家の中の病気や悪霊を祓う力があるという、、、

お香について
1750年ごろにはエルツ山地のクロッテンドルフ周辺で生産が始まり、今も続いています。円錐形のコーン型がメインです。
こちらでお香と言えば、フランキンセンス(乳香)。教会やキリスト誕生の3人の賢者がギフトとしたお話から。
チャコール、じゃがいもの粉、白檀そして?アカブナの木の粉から作られています。この基本練り物に香りが加えられています。
今では数えられないほどの香りのお香が作られています。
ミニの煙だし人形には2cmHのお香
通常のサイズの煙だし人形には2−3cmHのお香をお使いください/


クリスマスピラミッド」

クリスマスピラミッド、ザイフェンはもちろん、エルツ地方全域でクリスマスのエッセンスとなっています。
ろうそくの灯火を点けるとピラミッドが回転し、ステージのフィギュアが優しく回る様はクリスマスのお部屋をより盛り上げてくれますね。

クリスマスピラミッドの基本的な設計はやはり、鉱山の村ならでは、、のあるものが起因しています。
18世紀初頭にはクリスマスピラミッドはクリスマスツリーの代わりのように使われていました。
三角の木のフレームに常緑樹の小枝を飾り、キャンドルを灯していた。。。。
それが18世紀終わり頃には回転するタワーの形に。
それには作り手が元鉱夫さんだったからなのでしょうか。
鉱石を坑道から引き上げる手段として当時、馬の力を借りていました。
「Horse whim」! 地上で馬がポールの周りを回って、シャフトを回転させてロープを巻き上げ、地下の鉱石を持ち上げる、、、
大きな船のイカリを海から引き上げる原理と同じでは、、と思います。エルツ地方のマリエンベルグという街の観光案内の画像をお借りしました。そして時を経て研ぎ澄まされた現在のピラミッドとなりました。

とたくさんの種類のピラミッドがあります。一段のもの、数段のもの、普通のタイプのろうそく用、ティキャンドル用。また、通電タイプのものも。吊るすタイプのものもあります。そして風の力で回る小さなタイプ。。。そしてお持ちのフィギュアを乗せてオリジナルを作っていただけるタイプも。

もしもピラミッドが回らなくなったら・・・
まずはお試しください。ピラミッドの中心のメタルのポールを支えているピラミッド内の6mmほどのディスクにミシン油を注してみてください。
それでも回らない時は、その小さなディスクが傷ついている可能性がありますので、交換が必要です。少しですが、ご用意しています。
 

シュヴィップボーゲン

この地方のSchwibbogen(キャンドルアーチ)は250年を越える伝統を誇っています。

1726年に鍛冶職人の一人が初めてこの種の燭台を鉄で作ったとされていて、金属製でしたが、鉱石の枯渇と共にそれまで低賃金の炭鉱以外の生活の糧として木工やボビンレース製作をしていた地域に19世期後半頃から木製のシュビッブボーゲンが生まれ、今では窓辺を飾るアーチ型の照明はエルツ地方の冬には欠かせないものとなっています。

色々なモチーフが作られる中、典型的で一番好まれるテーマはこの地方の伝統的な暮らしを取り上げているものです。

中央に制服姿の鉱夫さん、鉱山業のシンボルマークのタガネとハンマー、アウグストス強王の紋章(クロスの刀)、おもちゃを作っている職人さんのそばには煙り出し人形又はくるみ割り人形も、ボビンレース細工をしている女性、空飛ぶ天使と燭台シャンデリア。

なぜアーチ型?それは鉱業が盛んだったエルツ地方では、クリスマスイブ、つまり年内最後の仕事の日を祝い、炭鉱夫さんたちが各々の手持ちのランタン(カンテラ)に火を灯し、炭鉱トンネル出入口(アーチ型)に吊るした風習があり、その情景から着想を得たとされています。

ゴシック時代の建物様式で二つの壁に支えら、二つを結ぶアーチを「シュヴェーべボーゲン:浮遊アーチ」と呼ばれていたことから由来しているとのことです。

アーチ型に灯るキャンドルの灯を楽しむことから、今ではキャンドルの形をした通電式のライト付きのものもたくさん作られるようになりました。2019年のコロナ感染拡大でStay homeの時にはエルツ地方の各家庭で、窓際にシュヴィッブボーゲンを飾ろうと呼びかけがあり、皆さん、季節を問わず、元気でいるよ!、頑張ろうね!とろうそくを灯しました。


ライフェンドレーン

ライフェン:タイヤ ドレーン:回転
と直訳すれば「回るタイヤ」 思わず、「動物の金太郎あめ」と名付けたくなりました。

その歴史は

1800年以降に知られるようになったザイフェンとその周辺にしかない木工技術です。ザイフェンの玩具メーカーが発案した特別な技法です。それは資料が残っていないため正確にはわかりませんが、1803年の玩具カタログには「10件の家を並べると半円になる」との説明があり、この技法で作られたのではないかと推測されているようです。 一番古いこの技法について書かれたものには1810年ドレスデンで見つかっているとのこと。これには「最初にライフェンドレーエン技法で作られたのは『町の家々』、さらには高い技術を必要とする『動物』だった。」とあります。が、はっきりと明確にライフェンドレーエンと公に記述されたのはザクセン王国の資料の中1837年のものだそうで

この技術の始まりは

1.この地方に広く行われていたろくろ加工の技術が徐々に変化した説。
2.この地方の古くからガラスの製造が盛んで、ガラス製品を製造する時に濡らした木製の型の中にガラスを流し込む方法があり、この型をろくろで作る職人は、たくさんの型を作るうちに、ものの形を想像して型を生み出し、ろくろ加工の技術とものの形である木型との感性が合致し、職人たちが生み出したものがライフェンドレーエンであるという説。


シュパンバウム

シュパン:削る バウム:木
ひと削り人手刷り。。。。シュパンバウムはエルツ山地の特技の一つです。
ロクロで最初に太めの芯になるポールを削りだします。そしてその芯の部分をひと削りひと削り、中央を回るように、木のてっぺんから削って行く技法です。途中で削り過ぎてカールの部分が外れてしまうとNG.

ザイフェンの玩具メーカーが年以上前から生産している技術です。マイスターの特技です。現在6にんのライフェンドレーナーがおられると聞きました。素材はまっすぐに伸び。密度が高く、弾力性のある菩提樹。ノミの入れ方でカールが出来るわけで、
シュパンバウムの仲間でスパイラルバウム、ロールバウム、なども生産されています。ちょっと景色を作るのには必要不可欠の木々ですね。